ばいばいありがとう


実家の猫が死んだ。その日の夜までまったく元気でいつも通りだったらしい。名前は「ひとし」。うちの妹が「顔がまつもとひとしに似てるから」という理由でつけた名前。ひとしは実家の庭で瀕死状態だった。ひとしとその兄弟を産んだお母さんはノラ猫。うちの母はいわゆる「猫おばさん」のため庭にくるノラたちのために餌を置いていた。その餌を食べに来ていた中の1匹がひとしのお母さんだった。お母さんは計5匹の子供をうちの庭に連れてきていた。もうほとんど庭が住処の如くなっていたある日、カラスがそのノラ猫家族を襲った。私は一泊の出張で早朝の出社、父と母は旅行に行っていたため、家には妹しかいなかった。妹が朝、庭への窓を開けると、血まみれの仔猫たち。相当な惨劇を目の当たりにして悲鳴をあげた妹はその当時仲の良かった友達に連絡し、どうにか息のある2匹の仔猫と母猫を家に入れ、病院に連れて行った。もちろんお金など持っていなかったが、良心的な病院の先生が「お金はいいから!」と仔猫と母猫を助けてくれた。2匹のうち、1匹をそのお友だちが飼い、もう1匹と母猫をうちで飼うことにした。元々うちには猫が3匹もいたので増えることは苦ではなかった。ひとしは人間に助けられた猫だからなのか、犬のように人懐っこく、お経をあげにきたお坊さんにまですり寄って一緒にお経を聞いていたくらいの猫だった。妹一家に子供が生まれると、小さな怪獣たちに叩かれたり乗っかられたりとエライめに遭うのが何かと寄って来るひとし。それでもイヤをしながらも逃げることは無かった。そんな猫だった。呼ぶと必ず「ニ゛ャー」とぶさいくな声をだしながら膝に乗って来る。そんな可愛さから私たち家族のアイドルだった。うちの中で何かと煙たがられていた父はそんなひとしですらなつかなかった。猫の世話など一切しない性質の人だったからだ。ある日、私と母が大阪に住む妹の家に遊びに行った時に、仕方なく餌やり、トイレの掃除などの世話を父がすることになった。そして母がいなかったたった一週間で、ひとしは父になつくようになった。そんなひとしが可愛いのか、ソファで横になる時も、テレビを見てる時も、いつも傍らにひとしを置いていた父。何かと性格が丸くなってきたのもひとしのおかげだと、秘かに母や妹と話していた。よく食べて、よく甘えるひとしは丸々と太っていたが、それもまたキャラクターとして、義弟やウチの人にも愛され、何かの実家に集まると甥っ子や姪っ子がひとしを囲み、その周りを私たちが囲むと言う図が自然と出来ていた。そんなひとしが死んだ。今、この長々した文章を書いていて思う。私たちはひとしに「癒し」以上の何かを求め、そして返してもらっていた。癒しを求めてペットを飼う人はたくさんいると思う。でも自分たちよりも先にその生き物たちが死ぬという事実が絶対に存在する。今までだって何度も経験しているけれど、ひとしは急死だった分、父と母へのショックは大きかったようだ。私が実家に帰って慰めようにも、多分ひとしがしてきたそれ以上の事は出来ない。一緒に悲しみを分け合うことくらいしか出来ない。ひとしの存在がどれだけ大きかったか、帰らぬものになってさらに強く感じられる。私たち姉妹以上に父と母の面倒を見てくれたひとしにはありきたりだけれど「ありがとう」しか言えない。ひとし、ばいばい。今まで本当にありがとう。